「人は、なぜ制限がある方が楽しめるのだろう?」
そんなことを考えながらカプリチョーザでパスタを食べてました。
制限に価値があるという考え方になったのは本当に小さなきっかけでした。
私は営業職という仕事柄、お昼はコンビニで買ったものを車内で食事をしてました。
そんな私は無類の麺類好きで毎日のようにコンビニで麺類を買って食べてました。
そんなある日気が付きました。
そのパスタを食べるという行為が幸福で行ってるものではなく栄養を摂る行為に下がってると。
そこから至福な時間は制限があるから色づくものだということが私の中の一つ大きな価値観となりました。
だから私は、我慢そのものを悪いものだとは思わなくなりました。
我慢は楽しみを遠ざけるものではなく、楽しみをもう一度輝かせるための余白なのかもしれません。
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