人はなぜ変わっても自分でいられるのだろう?

執筆者:

カテゴリ:

人は、なぜ変わっても自分でいられるのだろう?

こんなことを考えながら、溝の口のモスバーガーでカフェラテを飲んでいます。

大きな出来事があると、自分まで別人になったように感じることがあります。

いろいろな経緯や内容は省略しますが、私自身、8年間所属していた部署と絶縁するような形になった経験があります。

私の人生の中でも、かなり苦しい経験でした。

自分に非がなかったとは思っていません。
深く反省したこともありますし、今でも悔いていることがあります。

一方で、相手への怒りや失望がきれいに消えたわけでもありません。
今でも対面で話すことを想像すると身震いするほどで、私の中には傷として残っています。

それでも、時間が経って気づいたことがあります。

考え方の根幹までは、変わっていませんでした。

むしろ、あれだけ傷ついたあとでも残っていたからこそ、それが自分にとって本当に大切なものだったのだと思います。

私には、

「どんなに傷ついても、人を傷つけない。」

という、自分なりの核があります。

もちろん、完璧にできるとは思っていません。
怒ることもありますし、失敗することもあります。

ただ、その方向だけは見失いたくない。

今振り返ると、今回の出来事を通して変わった部分もあります。

特に、「課題の分離」はかなり意識するようになりました。

もともと知っていた言葉ではありましたが、今回の出来事が起こるまでは、どんな本を読んでもいまひとつしっくりきませんでした。

相手の感情や選択まで、自分が背負う必要はない。
自分にできることをしたら、その先は相手に委ねる。

今の私は、

「助けを求めてきた人には、できる範囲で手を差し伸べる。」

という、シンプルな結論にたどり着いています。

だから私は、今回の経験によって自分を捨てたというより、

自分の核を守るために、生き方を変えた。

ということなのかもしれません。

人は変われます。

でも、変わることは別人になることではない。

自分だけが持っている信念に、経験から得た知恵を少しずつ加えていく。

そうやって人は、変わりながらも自分でいられるのではないでしょうか。

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 ※ が付いている欄は必須項目です